ぶらり桶狭間めぐり

訪問日05-02-17  作成日05-02-22  地図

1560年5月12日、駿河・遠江・三河を支配していた戦国大名今川義元は、上洛のたの進軍を開始し、尾張に侵攻した。今川軍の兵2万5000人に対し、迎え撃つ織田軍は兵2000人であった。5月19日、激しい雨と風が敵の視界を遮っているのに乗じて、信長は総攻撃の指令を下すと、総大将の義元の首だけを狙って襲い掛かった。
突然の攻撃に、義元の軍勢はあっという間に浮き足立ち、戦場から慌てて撤退を始めた。逃げまどう敵の中からたちまち捜し出された義元はあえなく首を討ち取られてしまった。
桶狭間の戦いの勝利によって、織田信長は戦国の世に広く名を響かせ、今川氏の武将として参加していた徳川家康は、人質の身分から解放され、晴れて戦国大名としての誕生をみるのであった。
@桶狭間古戦場公園
(名古屋市緑区
桶狭間北3丁目)
公園内にある『義元の墓』(右)と『今川義元戦死之地』の石碑(左) 伝説地内にある『義元戦死の石碑』(左)とその説明書き(右) A桶狭間古戦場伝説地
(豊明市栄町)
公園内説明板
今川義元は京に進軍の途路、この地にて本軍の休養を命じたと記されている。
伝説地内説明板
今川義元は、この地にて織田信長に襲われ戦死したと記されている。

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