郵便局めぐり(最初の静岡県編・通帳)(2)
◎その頃の郵便局では、コンピューターの全国オンラインがひととおり普及したばかりの頃であったが、簡易局などでは年月日、取扱局欄は手入力のところがあった。 (←左の一番上の行の浜松医大病院内簡易局や通帳(1)の真ん中の段、下から3行目の湖西吉美簡易局がその例である。) |
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◎一番下にある朱色の郵便局長印(主務者印)に注目して欲しい。右のページや上のページもしくは通帳(1)のすべてにおいて、真ん中にパンチ穴が開けられてしまっている。これは通帳が満欄になると、新しく更新した局でその通帳が回収されて、管轄の地方貯金局(私の場合は名古地方貯金局)へ送付され、パンチ穴を開けられた上で、後日返送されてくる決まりになっていたからである。これでは、せっかくいただいた郵便局長印の5分の1のものが、判別不明になってしま うのであった。 | ||
◎左の通帳の郵便局長印の欄では、これまでのものとは違い、パンチ穴は開けられず、すべての朱印がしっかり判明できている。おそらく昭和55年から昭和56年の間に、決まりが変更になったものと思われるが、この朱色の郵便局長印に喜びを見出すマニアにとっては朗報であったことだろう。 (このあと、いつからははっきりしないが、満欄となった通帳の回収はなくなり、その場で新旧の通帳を交付してくれるようになった。また、平成15年の郵政公社が発足したころから、横型通帳に順次変わっていき、郵便局長印の欄は廃止されてしまった。このあたりのお話については、→こちらをご覧ください。) |
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◎昭和56年11月27日は私の二十X才の誕生日であったが、この日は独身最後の誕生日記念として、私・稲生の青春を過ごした静岡地区の郵便局をいくつかまわり、静岡郵便局(現在は
静岡中央郵便局)を最後に、郵便局めぐりに一応の終止符を打った。 (結局、約19年後に、この郵便局めぐりという趣味は、より活発になって再開するのであった。) |